善と悪の違いは、良い悪いとかではなく、軽い、重いということだ

物事を悟ったように見ている人はいう。

善と悪は存在しないと。

こうも言われる。

本当はこの世に良い悪いなんてないよ。立場が変わるだけで。

それは確かにそうである。争いも立場が変われば当事者の視点から見れば正義だ。

生き物を殺めてはいけません、大切にしましょうと道徳で習う。なのに、食べるために生き物を殺す。

あらゆる矛盾があるから、良い悪いなんて考えられない。

たしかにそうだ。だが、これが真実だと言われたらあなたはどう思うか

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良い悪い、ではなく、軽い、重いというのが真実

その人の行動原理、エネルギーが軽いのか重いのか。

それが善悪の判断基準だと私は伝える。

例えば、先ほどの生き物の例。自分のストレスの発散や怒りをぶつけるために生き物を傷つけたとする。それは行動原理には自分の欲求を満たしたいという欲やドロドロとした感情がある。

そのエネルギーは果てしなく重い。

食べるための場合はどうか。今日をつなぐために人は生き物やご飯を食べる。だから感謝をしなければいけない。感謝をしていただく、その時にある感情に重いものはない。

話は変わって、人に親切にしたとする。親切にしたことによって何かしらの見返りを期待している関係。その腹のうちにある感情は何か。とてもよくしてあげたのに期待したものが返ってこなかった時に沸く感情。それは自分をドロドロとした気持ちにさせ重くさせる。

困っている人になんの見返りもなく、ただ自分の中から出てくる好意で親切にした場合、そこの二人の笑顔にはなんの損得勘定もない純粋なものがある。

見返りを期待した者も、ただ親切にした者も、どちらも表面的に見れば親切にした”良い”人であり、違いはわかりづらい。

本当は我々は感知できるはずである。その見えないエネルギーを。

見返りを求めて親切にするものは、必ず見返りが返ってくることの方が稀であるわけだから、自分自身で苦しみを生み出していることになる。

新時代、新地球、新世紀に向かうためには、エネルギーが軽いということはどういうことかを理解し、実践していく必要がある。

あなたのために、君を思って。本当に人を思っての行動なのか考える。

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